人は生まれる時、人の手を介してこの世にもたらされ、人の手に触れられ、助けを得て育ち、自らの手で外界と人、自分自身に触れながら世界を学びます。
そうしていく中で、目的や約束事なくただ触れ合うことはしなくなり、触れる感覚も触れられる感覚も遠いものとして生きてる期間もあります。
それからまた、身の周りの助けを必要とする人に触れる機会を得ることもあれば、あるいは自らが助けを必要とするときに触れてもらい、肉体を去るときにもまた人の手を借りて旅立ちます。
私たちは、身体・肉体に触れるという職業を選択した特殊な立場にいます。
触れるという原初的で必要不可欠な行為を自ら選び、人にそれを伝えているのです。
触れるという行為は、その一瞬にのみ存在します。
その一瞬に、触れる側は相手の身体を感じ取り、触れられる側は相手の手を感じ、身体の内側からその手に触れてきています。
触れるという行為は、決して一方通行ではないのです。
触れることは肉体を介した伝達行為であり、お互いを同じ存在として認め合う経験となります。
身体に触れることは、症状を取り去ったり、直したり、矯正するのを目的とする場合もあります。
そうした「目的」は、肉体が役目を終えるときやその存在意義が変化するときには意味を成さなくなり、また本来の触れるという原初的な行為に帰っていきます。
触れる・触れられる瞬間に互いの存在を認め合い、肉体を超える私たちの存在を感覚し合うのです。
お互いが一つであること、
すべてが繋がり合い、
すべての経験が共有され、
すべてが「今」というこの行為の一瞬間に内包されていると識る手段となるのです。
私たちボディワーカーは、助産師とよく似ています。
肉体に生まれてくるときに手助けをするのが助産師であるなら、人生を歩む中で肉体を通して経験していくことを手で触れてサポートし、肉体を離れる際には肉体の心地よさを感じながらすべてを手放して行けるように手助けするのがボディワーカーです。
身体との関係性、人生との関係性、人との関係性、そしてあなた自身との関係性をこの触れる・触れられる一瞬間を意識的に感じ取るとき、変容と統合はすでに生まれているのです
ジャック ブラックバーン